文化
一般に、15世紀末-16世紀には、程度の差はあるが、ルネサンスはアルプス以北の西欧や一部東欧諸国にも波及したと考えられている(北方ルネサンス)。しかし例えば、ルネサンスを社会形態まで含めた総体的運動として捉えた場合、ルネサンスは本質的にイタリア固有の現象であって、絶対王政が確立しつつあった西欧諸国にルネサンスを認めない立場もある。
以下に、一般に「ルネサンス」と評される各国の文化を挙げる。必ずしも古典の復興を目指したものとは限らないが、イタリア・ルネサンスに触発され発達したもの、明らかに中世文化とは異なる特徴を持つものなどが含まれる。これらは一時的な流行、単なる模倣に留まらず、各国の国民文化の核にもなっていったものである。
ネーデルラント(ベルギー・オランダやその周辺)
1384-1477年までブルゴーニュ公国領であったフランドル地方では、毛織物工業と貿易が活発であり、豊かな文化が花開いた。
【絵画】15世紀のファン・エイク兄弟が油絵の技法を完成させ、一早くルネサンスの到来を告げている。このころのネーデルラント絵画はイタリア・ルネサンスと並び立つ水準にあり、むしろイタリア絵画に大きな影響を与えるほどであったが、16世紀頃には逆転し、イタリアを手本とするようになった。ブリューゲル(1525年-1569年)もイタリア旅行をしたのち、独自の農村風景画を描くようになった。ただ、初期フランドルの絵画には古典の復興という要素がないため、中世末期の美術とみなす説もある。
【思想】新約聖書をギリシア語から翻訳したエラスムス(1466年-1536年)が人文主義者として著名である。古代ギリシア語研究は、キリスト教を原点に遡って再検討することにつながり、次第に中世カトリックの権威を揺るがすものとなった。エラスムスは『痴愚神礼賛』でカトリックの堕落を風刺したが、宗教改革運動を起こしたルターとは袂を分かった。
【音楽】ネーデルラントの顕著な文化活動に、音楽の勃興と隆盛があった。ルネサンス音楽を参照。
フランス
イタリアの先進文化が伝えられ、国王の文芸保護政策もあって文化活動が活発になった16世紀は、フランス・ルネサンスの時代といわれる。(ミシュレ『フランス史』)
【絵画】イタリアに進軍したフランソワ1世の時代(イタリア戦争の項を参照)にレオナルド・ダ・ヴィンチが宮廷に招かれ、イタリアのルネサンス美術が伝えられた。その後もロッソ・フィオレンティーノらがイタリアから宮廷に招かれ、マニエリスムの影響を受けたフォンテーヌブロー派が活躍する。
【文学】ギリシャ古典を研究したラブレー(1483年-1553年)は『ガルガンチュワ物語』を著した。荒唐無稽な巨人の物語だが、既成の権威を風刺した内容で、活版印刷で刊行され、禁書処分を受けるが広く読まれた。このほか、16世紀中頃にはピエール・ド・ロンサールなど古典文学を学んだ若い詩人ら(プレイヤード派)が文学運動を起こした。またアリストテレスの演劇論などが影響を与えた。これらの動向は、17世紀のフランス古典主義文学(コルネイユ、ラシーヌなど)に継承されていった。フランス・ルネサンスの文学も参照のこと。
【思想】フランス宗教戦争期に生きたモンテーニュ(1533年-1592年)はフランスのルネサンス期を代表する思想家といわれ、セネカらの引用と自己の考察を綴った『エセー(随想録)』で知られる。
ドイツ
【絵画】デューラー(1471年-1528年)が有名である。イタリア旅行を経て、ルネサンス絵画に学び、思想的にも深みのある表現に達した。銅版画の「メランコリア」や油彩の「四人の使徒」などの宗教画がよく知られている。
【思想】ルターの宗教改革はルネサンスの人文主義者による聖書の原典研究が進んだことが背景にある(前述)。
イギリス
一般にイギリス・ルネサンスの最盛期は16世紀のエリザベス朝で、ピューリタン革命(1642年-)が起こると、イギリスのルネサンスは幕を下ろした、とされる。
【文学】早くはジェフリー・チョーサー(1340年-1400年)がボッカッチョの影響を受け『カンタベリー物語』を著している。その後、エリザベス朝には古代ギリシャ以来とも言われるほど演劇が盛んになり、古代ローマの思想家でもあるセネカの書いた『オイディプス』等の悲劇が英語に翻訳され、大きな影響を与えた。イギリスの後期ルネサンスを代表する世界的な劇作家シェイクスピア(1564年-1616年)の存在もこの流れの中にある。ただし、シェイクスピア自身はラテン語・ギリシャ語についての知識はあまりなく、イタリアを舞台にした劇は書いているが、訪れたことはない。
【思想】『ユートピア』で知られるトマス・モア(1478-1535)はイギリスの代表的な人文主義者であり、フィチーノの著作に影響を受け、エラスムスと交友を持つ。また、フランシス・ベーコン(1561年-1626年)はセネカの思想の影響を受け、『随想録』を執筆した。
スペイン
【絵画】エル・グレコ(1541年-1614年)が知られる。クレタ島出身のギリシャ人でヴェネツィア・ローマを経てトレドに移り住む。マニエリスムの影響を受けながらも、独自の神秘的な画風を築いた。
【文学】小説家セルバンテス(1547年-1616年)は、スペインのエラスムス主義者フワン・ロペス・デ・オーヨスの弟子であり、20代始めにローマで枢機卿に仕え、イタリアの先進文化にふれた。1605年に出版された「ドン・キホーテ」は当時ベストセラーになり、現在では「近代小説の始まり」と評価されている。
俗語で書かれた文芸作品も多く(神曲、デカメロン、カンタベリー物語、ガルガンチュワ物語、シェイクスピアの戯曲、ドン・キホーテなど)、各国の国語が形成されていった時期に重なっている。一方、各国の知識人が交流するうえで、中世以来の国際語であったラテン語の役割も見逃せない。例えばオランダのエラスムスとイギリスのトマス・モアはラテン語という共通語があったことで、思想的な交友を行うことができた。
なお、建築の分野については、イタリアで生まれたルネサンス建築が規範となり、他の国にも普及していった。古典様式をいかに理解し消化するかが課題となり、それぞれの国で特色ある様式が生まれた(北方ルネサンス建築の項を参照)。ルネサンスによって復興した古典主義建築は、正統的な建築様式とみなされ、20世紀に至るまで権威を保った。